日を追うごとに彩りも鮮やかに深まって、
その色彩にこうまでの種類があったのかと、
しみじみと思わせるのが皐月の新緑の奥の深さで。
秋の紅葉、あの錦景に比べりゃあ、
ただ緑なばっかじゃないか…と思われるむきもあろうが、何の何の。
花が散ってから芽吹く青葉も柔らかそうな桜の梢には、
幹の濃い色に甘い緑がはたはた躍るのが愛らしいし。
冬場も寒風になぶられて耐えた、
椿や山茶花などの厚手の葉の濃い色に重なって、
ツツジだかサツキだかの茂みの表へ、
発色のいい黄味がかった小さな若葉が
陽も当たらぬ箇所へまで明るい色をちりばめているのがまた、
その場へと知らず視線を吸い寄せるほど、
存在感を深めての鮮やかで。
確かに、赤や茶、黄色という、
とりどりの色彩を散りばめてはいないけれど、
“でもその代わりに、いろんなお花が咲き染める頃合いだしvv”
可憐な緋色や赤に白、
桜がその華やいだ風格ある存在を散らせた後には、
木瓜(ボケ)にツツジに、藤に馬酔木。
樹花の方では 空木に泰山木に合歓木に、
茂みや低木にも、紫陽花や牡丹も控えておいで。
殿上では水辺にそりゃあ見事な菖蒲も咲きそろい、
名のある権門たちが招かれて、
華やかな宴が催されてもいる今日の本日だったりし。
“こたびばかりは、
お師匠様もお断りが利かなかったらしくって。”
春先の宴のあれやこれやにも、
忙しいからとのお断りを入れまくってた某陰陽師様だったが、
さすがに…直接の上司にあたる神祗官様が、
牛車で直々に運ばれた上でお誘い遊ばしたのでは断れぬ。
上下関係や作法云々には“それが何ぼのもんじゃい”という態度を通せる、
相も変わらず強腰なお人だが、
『なに、この春の気候の乱れようは、
我ら神祗官の部署の怠慢のせいではないかとの声も
こそこそと上がっておるそうなのでな。』
ちゃんと出仕はしておるが、そんなものは下々の官にしか判らぬこと。
目に見えての働きとして、
ああいう宴へ花添えることこそご奉仕だと思うておるクチの、
もっともらしくもかまびすしい言いようを、
出ても変わらぬがどうか?という方向で封じるためにも、
この老いぼれと付き合うてはくれぬかのと。
お話をそれはお上手に持っていかれた老年殿に、
そこまでされても駄々を捏ねるのは、それこそ大人げないかと諦めなさったか。
仕立てたばかりな淡く青の滲む白絹の直衣をまとい、
それとの拮抗にて漆黒のいで立ちがこれまた鮮やかな、
いつもの精悍な侍従殿を引き連れて、お出掛けになられた蛭魔であり。
そんなこんなで、
微妙に閑散としたお屋敷には退屈しか覚えなんだか
仔ギツネのくうちゃん、
いつものように天上から降りて来たものの、
気がつきゃあ広間にもどこにも姿がなかった。
あわわと慌てた書生くんだったが、
『ああ、くうちゃんでしたら。』
お弁当持って裏山へお出掛けですよと、
賄いのおばさまがにっこり笑って答えてくださり。
あぎょん?とか仰せのお友達と会うのと言ってらしたので、
おむすびもウズラの炙ったのも多いめに、
竹の行李へ詰めて持たせましたとのことで。
それだったら大丈夫かなと、何とか胸を撫で下ろし、
こちらはこちらで、お師匠様からの宿題 兼 お片付け。
もう来年まで使わぬだろう、
季節の行事向けの文献やら儀式儀礼用の衣紋やら、
整理し、陽に干して蔵へ仕舞うという一通りを手掛けたセナくんで。
そういったぱたぱたを、雑仕の方々と一緒に何とか終えたのが、
そろそろ黄昏に向かう色合いへ、
空や空気の香りが変わり始めた、昼下がりと呼ぶのもぎりぎりな刻限。
ああしまった、もうそんな時間かと、
賄いのおばさまへ、裏山まで行って来ますねと断ってから、
さくさくとゆるやかな傾斜(なぞえ)を登ってゆけば。
そこは正に様々な翠・緑・碧の洪水だったというワケで。
「気持ちいいなぁ。」
森や山には、ただ単に木陰が多いということとは別の、
ひんやりした特別な精気が満ちている。
彼らなりの呼吸をしていてのこと、
空間へと吐き出されている清かな生気…というのもあるけれど。
それとはまた別、
地脈かかわりの精気もふんだんに満ちており。
学問やら道具やら、
便利なあれこれ身につけたのと取り替えるように
昔に比べりゃ鈍感になってしまった人間には、
もはや感じるのも難しいだろそんな精気が、
季節の変わり目なんかにゃあ たんと溢れ出ているから。
そういう季節なんだから、怖がるこたあない、と。
そんな順番で、
自分の感応が敏感すぎること、気に病むなと遠回しに言ってくださった、
本当はお優しいお師匠様だったの、
ついついほわりと頬をゆるめて、思い出したセナくんだったりし。
“…と、いかんいかん。”
そんな場合じゃなかったと、気を取り直してのお顔を上げて。
「くうちゃ〜ん、そろそろ帰ろうよー。」
そろそろお師匠様も葉柱さんも、殿上から戻っておいでだ。
庫裏では、晩の御膳か山菜を丁寧に煮ておいでで、
焼きもの用の囲炉裏では、結構な大きさのヤマメが何匹も炙られていて、
それはいい匂いを立てていたから、
「晩の御膳が温かいうち、美味しいのを食べようよー。」
そっちでのお声を掛ければ、ほらほら効果はてきめんで。
少しずつ道がかすれて細まる先から、
かさこそがさがさ、誰かがやってくる気配がしだす。
立ち止まって少しほど待てば、
「せぇなっ!」
えーいっと飛び出して来たのは、
小柄なセナくんよりも ずんと小さな坊やが一人…
だけじゃあなくて。
「よお、久しいな。」
「あれ、阿含さんまで。」
坊やの後からぬうと出て来たのが、
黒い髪を縄みたいに編んだという、珍しい風体の男の人だ。
着ているものは、いわゆる作務衣で。
そこから覗く腕やら胸元が屈強なところからして、
よほどに修養を積んだ修験者のお人かなというくらいしか、
把握はしていないセナだったが。
あの蛭魔や葉柱が対等な…つまりは親しげな口を利いているので、
警戒するこたぁなかろうと思っているらしく。
そんな順番で…いいんだろうか、実際の話。(う〜ん)
“いんですよ、
だって進さんも何とも言わないんだもの。”(う〜ん…)
そんな彼には、
こちらのお家で預かっている天狐の仔ギツネさんもまた、
いたく懐いておいでであり。
そんな柄には見えないが、
彼の側からも面倒見よくも構っておいでであるらしい。
そんなこんなという仲良しっぷりは、重々知ってたセナくんだったが、
「???」
見送りについてくることが、
これまでだってなかった訳じゃああないけれど。
それはたとえば風の強い日だったり、
そろそろ雪が舞い始めるよな、
陽が落ちるのももっと早かった頃合いに限ってたような。
―― 何かありましたか?と
訊こうと仕掛かったセナが、だがそれより前に、ハッと気づいたのが、
「…くうちゃん、そのお尻尾。」
ぴょいっと飛びついて来たおチビさんだったが、
背中に何を負っているのかと感じていた違和感のようなそれが、
間近になったことで…彼本人の ふさふさなお尻尾だと判明し。
あれは昨年の今頃か、
それでなくとも可愛らしかったくうちゃんのお尻尾が、
何の前触れもなく二本に分かれた事件があって。
本人さえ聞かされてはなかったらしく、
微妙に見えにくい位置に増えたその尻尾へ、
本気でおびえて泣いたのも、今となっては懐かしい話。
ともすりゃあ本人の体と同じほどというくらい、
一気に容積を増してる、嵩高なふっかふかのお尻尾は、
さながら、ご当人の身をくるみ込む、立派な外套のようでもあったけれど。
「でも……。」
確か…あの騒動以降、
まだまだ早い段階の成長だったこともあり、
生活のあれこれには邪魔だろうからと、
天世界のお父上、玉藻様が直々に咒を唱え、元通りにと封じられてたはずなのに。
あれれぇ?というお顔にさすがに気づいたか、
懐ろから見上げて来たご当人様、
あのねあのねと口火を切ったところによれば、
「あーね? あぎょんがね、
ナムナムしてりゅから、お尻尾も出て来ちゃったの。」
「ナムナム?」
それって仏教のほうのお祈りなんだけれどと、
神様のお使いである天狐のくうちゃんには、
微妙に宗派違いにならんかという言い回しの方へ、まずはおいおいと思ってから、
「…それってもしかして、結界を張られたということでしょうか?」
「おお、さすがは陰陽師の卵だの。」
ほおと感心したように切れ長の目元をやや見張ってから、
ふふふと、何とも不敵な笑みを見せ、
「なに。
もう解いてしもうたので、
お主の師匠には案ずるなと言うておけ。」
彼自身はそれ以上の説明もせず、じゃあなと手を挙げて去っていったが、
『あーね?あーね? 何かが来てたから、ナムナムしたんだって。』
くうもびっくぃしたのよ?
あぎょんだーって駆けてったりゃば、
ぽんって、お尻尾が大きくなっちって。
あぎょんも、そうかそういや そだったなって、
あははって笑うの、やーよねぇーと。
「くうも なかなか口が達者になったの。」
「……お師匠様。」
そっちですかと、お約束のお答えへ律義に肩を落としたセナくんはともかく、
お膝に抱っこした幼子のお話へ、
そうかそうかと頷いてやっていた金髪痩躯のお館様とは正反対、
「あんのヤロ、地主に断りもなく勝手なことを。」
「…葉柱さんが地主なんですか、ここいらって。」
間髪入れぬセナくんからの質問へ、
精霊って立場で言うならな?と応じてのそれから、
あいつは後から来た身だし、それに、
「俺は…人間としてのここいらの領主のそばにもいるし。」
「何だ、そりゃ。」
何とも取って付けたような応じだったのへ、
くくくと可笑しそうに喉奥震わせたお館様であり。
大方、どっかの興行師だか密猟者だか、
他所者が入り込んだんで、
追い払うための迷宮封印結界でも張りやがったんだろうさと。
“それって、まさか異空間へ飛ばす結界じゃあ…。”
そっかと聞き流すにはやや物騒なお言いようをしてから、
なあ、あぎょんのやつぁ大丈夫だって言ってたのによと、
お膝の幼子とお顔を見合わせちゃあ“なあ?”なんて示し合ってるお師匠様で。
……まあ、安泰なら いっか。(こらー)
〜Fine〜 10.05.24.
*春といったらなお人もお目覚めしていたようで。(をい)
じゃあなくて。
そういえば、くうちゃんのお尻尾って
めでたくも2本になってなかったかと、今頃思い出しました。
年が行くとそんな大事なことさえ忘れます。
しっかりしろー(苦笑)
めーるふぉーむvv

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